わんわん帝國 ヲチ藩国

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アイドレス 「食糧生産地」 2007/04/22 18:30





HQ根拠
アイドレス提出所 電網適応アイドレス/ウェブリブログ
> ヲチ藩国
> http://wochi.blog85.fc2.com/blog-entry-34.html#more
> はハイクオリティボーナスで収穫量+5万t
> 芝村
> 2007/04/22 20:14
(以上コメント欄より引用)
http://blog.tendice.jp/200704/article_48.html

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食糧生産地

ヲチ藩国の東部平原にある一大穀倉地帯。
主にヲチ藩国の主食である小麦と特産品であるみかんを栽培しており、広大な小麦畑とみかんの果樹園がある。
農業地区は第一次動員令の際に発動された食糧生産計画により更なる開墾がなされており、生産力の向上が見込まれている。
ヲチ藩国の特産品である、みかん・いよかん等の柑橘類は、本来当藩のような寒冷地・豪雪地帯には育たないが、みかんをこよなく愛するヲチ藩国の先人達はこれを持ち込み、栽培方法や品種改良などの努力により、問題の解決に長年試み、栽培を続けていた。
その試みは、先の食料増産計画で一層の飛躍を遂げ、王都にある王立シーザス学園の研究チームが、それまで収穫量が少なく高級品だった国産みかんの大量増産に成功するという快挙を成し遂げた。
そのため、現在では国産みかんの相場はかなり落ち着いたものとなっている。
また、主食の小麦畑の栽培も一筋縄ではいかなかった。
ヲチ藩国の国土は元来、農耕に向いているとは言いがたい土壌をしている土地が大半である。
藩国が成立した頃は、産業の主体は漁業と高原地域での牧畜であり、小麦などの農作物はは僅かにあった農耕地で栽培していた。
その農耕地の収穫量も、当時の需要をどうにか賄うのがせいぜいで、不作の年などは不足分を国外からの輸入で間に合わせてきた。
しかし、人口の増加に伴い輸入では賄いきれなくなり、食糧不足に悩まされた当時の藩王は未だ荒野だった藩国東部平原の開拓を決定した。
西部地区は当時は森林が多くあり、東部に比べても開拓が困難であったため開拓は見送られている。
ちなみに、そんな当時でもみかんの栽培は続けられており、当時の藩王は、食糧難の打開策として、果樹園の小麦畑への転換を計画したが、果樹園の土地が小麦の栽培に適してなかったことと国民達の断固とした反対で頓挫したという経緯もあった。(ヲチ藩国民のアイデンティティーは、みかんと切り離しては考えられないと言われている。 が、もちろん例外、柑橘系嫌いが居ない訳ではない…)
そんなこんなで、着手された開拓事業だったが、他の土地に比べればましだったといえ、東部平原は瓦礫が多く、土壌も決して農耕地向きとは言いがたがった。
しかし、困難に直面し、計画が暗礁に乗り上げようとした時、みかん栽培の従事者とみかんの保護を訴えた国民達が率先して協力に立ち上がった。
国民達はボランティアを組織して開拓作業を手伝い、みかん農家の者たちはみかん栽培のために農地の改良する技術を持っており、その技術を小麦などの栽培に転用したのである。
その結果、開墾事業は成功し、東部平原に広大な穀倉地帯が誕生した。
開墾された耕作地はヲチ藩国の農業中心地となり、現在では農業技術の発展と相まって藩国の小麦の年間消費を賄えるほどの生産力を持つまでになっており、収穫の季節には、見渡す限りの小麦畑で収穫に励む、農家の人たちの姿を見ることができる。
近年では、近代化に伴い人口が都市部に移動しつつあることから、農業従事者は減少傾向にあるが、それによる生産力の低下を防ぎ労働効率の向上させるため、新しい農業機械の開発が進められている。


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